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ミュージカル「エリザベート」8月23日マチソワ観て来ました

Category: 観劇感想   Tags: エリザベート  春野寿美礼  瀬奈じゅん  山口祐一郎  岡田浩暉  平方元基  古川雄大  大野拓朗  

ミュージカル「エリザベート」
 8月23日マチソワ観て来ました
今期のエリザベート


瀬奈エリザ 4回 春野エリザ 2回
山口トート 2回 石丸トート 2回 マテトート 2回
石川フランツ 3回 岡田フランツ 3回
寿ゾフィー 3回 杜ゾフィー 3回
平方ルド 2回 古川ルド 2回 大野ルド 2回
坂口少年ルド 2回 山田少年ルド 1回 加藤少年ルド 2回 鈴木少年ルド 1回



エリザベートが瀬奈さんに偏ってしまいましたけど
割と万遍なく観れた感じ。





今期
ものすごく観劇コンディションが悪く
2回しか観ていない春野さんの初見時は

なんだか気持ちがぐったりしていて
心にあまり入ってこない感じだったので
私春野エリザ苦手かも~?と思ったりもしましたが

2回目春野エリザ観たら

少女時代の
ずっとにこにこしているエリザがとても素敵にみえて、

わ 私 初見時 このにこやかさが気持ちを上滑りしていたのかと思うと
勿体なかったなあ。



瀬奈エリザは無邪気な感じなのだけど
春野エリザはそれよりはもちょっと女っぽく強いイメージでした。





山口トートは
全能感がはんぱないのに
エリザベートに初めて会った時の
アンバランスな初恋の顔とかが可愛かった。





エリザベートって
死者たちがルキーニの呼びかけでエリザベートの生きていた頃を演じ始めるわけだけど
トートは別に死者じゃないし、演じさせられてるわけではない。

とすると
劇中のトートは昔のトートなのか エリザベートの死後100年のトートなのか

これ考え始めると
なんかこう 他の人々に合わせて演じてると思うと
なんか違うし、
かといって素でもなかろうし

とすると過去のトートみたいなものが登場していると考えるべきか

すごく頭の中ぐるぐるしちゃうんですけど



山口トートは
場をすごく支配していて

そういう意味では100年後のトート…のイメージに近いかな と思っています。



結婚式の場面のトート。
誓いの言葉を問いかけるところのトートは
基本100年後のトートだと思っていて、


他の場面では
ときおり過去のトートが出て来ている というイメージでみてるかな?




まあ 観ている最中は
トート閣下の魅力にめろめろなので
そんなに深く考えないんだけど 気になる部分ではあります。








トート閣下も素晴らしかったけども
今期はやっぱり 一番のお目当てはフランツ。

フランツ中心で観劇スケジュールも組んだので
フランツとの絡みは割とダブルキャスト、トリプルキャスト堪能できました。


もうとにかく岡田フランツの可愛さが素晴らしかった。


とはいえ、
もしも誰かにエリザ観劇を勧めるならば
やっぱり石川フランツの回を勧めるだろうな…とは思うんですよ。


けどけど
それで良かったら絶対もう1回観て
岡田フランツでもう1回観て とは言いたい。



岡田フランツの可愛さは堪能して欲しいけど
でもフランツのかっこいい、威厳あるところも観て欲しい
ヘタレ皇帝だとは思われたくないもの。。

という程度にはそもそもフランツが好きなのですもの。




岡田フランツ。
あの可愛さをそのままに
皇帝としての威厳があったらもう最強なのに
(けど それがないからこその可愛さなのだよ。)


ん ちょっと違うか
石川フランツと比べたら威厳なくも感じるけど
岡田フランツも国民から観たら威厳ある皇帝だとは思うんですよね。

それが裏ではヘタレか ってところが可愛い。










ルドルフは今回そんなに入れ込んではいなかったのですが
平方ルドのフランツへの敬意がみえる演技と
古川ルドのエリザベートの鏡のような存在感がとても素敵でした。




平方ルドみて
そうか ルドルフはやっぱりフランツのことも愛しているはずだよね。

と気付いてから古川ルド観ても
やっぱり同じ場面でそうは思わず、


古川ルドみて
ああルドルフはエリザベートの鏡写しなんだなと
改めて思っても
同じ場面での平方ルドは鏡という印象にはならない。




岡田フランツみて
フランツってよく考えたら結構ヘタレだなと思ったあと
石川フランツみてヘタレとはまったく思えないのと一緒。



本当に
誰で観るかで
すごく印象が変わるなあと改めて感じました。






大野ルドは
最初の観劇コンディション最下層の頃に観てしまったので
ちょっと気持ちが上滑りしていて
今観たらまた印象変わるかも とは思っているのですが、


すごくフラットな子だなと感じました。

家族といる時も
民衆の前でも
トートといる時も
あまり変化が感じられずフラット。



これは
王家に生まれて、常に民衆の前に立ちながら成長していったことによって
人前というものが日常という人間像なのかもしれないな と思って観てましたが


今思うと
変化を感じる感性がその時の私に不足していたのかもしれない。


今観ても
同じように思うかもしれないけど

もしかしたらもっと違って見えるかもしれない。




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