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「オレノカタワレ」を観て来ました。

Category: 観劇感想   Tags: 30-DELUX  劇団朱雀  天野博一  早乙女友貴  

30-DELUX 劇団朱雀 MIX
 「オレノカタワレ」名古屋公演
1月31日『天』と 2月1日『早』を観て来ました。
殺陣満載でかっこいいなーと思いながら
劇中劇にも涙しながら観ていて、

最期の三四郎とジョーの二人を観て
この場面の為にここまでがあったんだという思いが溢れた。


そこまではなんというか
その場その場を楽しみながら、

ジョーの信長、ちょっと玉城くんの信長思い出すなーとか
この劇中劇フルで観たいなーとか
ショーを立て続けに観ているような感覚もあったように
振り返ると思えるのだけど
全部がこの瞬間のために在ったのだと思った瞬間
そこまでの全部の色が変わったような気がした。





天野くんが三四郎、友貴くんがジョーの『天』が
とてもお二人のイメージにあっていたので、
もうひとつの『早』はどんな風なのか想像できずに
『早』を観に行きました。




『天』は前方上手よりで観ていて、
これ正面から観たらめちゃめちゃかっこいいだろうなー、
出来ればちょっと後方だと更にいいだろうなーと思ったのですが
『早』は、まさにそんな席での観劇でございました。


思った通りすっごいかっこよかった!




『天』はお二人のイメージに近かったのですっと入って観れていて、

だけど『早』は二人への気持ち、というよりも
より三四郎への気持ちの入り方が強くなってしまった気がします。


だって、
お父さん、お母さんからの言葉だなあとか、
お兄さんとのやり取りだなあという意識がどこかにあるから。


朱雀でそんな風に思ったことないので、外部公演だからこそ思うことなのかも。

それにストーリーとのリンクもあるかもですね。



しかもこの舞台を朱雀解散公演直前に観ているというのが
更に気持ちが乗ってしまう理由にもなっているかも。


舞台の最後、
朱雀が最後を迎えようとしているこの時に
早乙女友貴が外部初主演をしたのだということに
胸がいっぱいになった。







観ている途中で、

三四郎とジョーはカタワレだけど
ジョーはいつも三四郎ばかりを観ていて、


カタワレは自分を引き上げてくれるのだとしたら
三四郎はジョーを引き上げているのだろうかと思えて、

『早』は
そんな風に思いながら観ていたけれど、


最後の場面。
昨日、ここに来るためにここまでがあったのだと思った場面で、

ジョーもまた三四郎に引き上げられていると知っていて、
そしてジョーにとって三四郎はカタワレであり
それは自分自身でもあるからこその
そこまでだったのだなと思った。




同じお話を観ているはずなのに
違うものを感じて観ていたふたつのバージョン。

だけど収束していく場所は同じなのだということが
ちょっと不思議な感覚でした。



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