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「エリザベート」を観て来ました

Category: 観劇感想   Tags: エリザベート  井上芳雄  田代万里生  古川雄大  尾上松也  城田優  佐藤隆紀  

「エリザベート」
7月17日昼公演と7月18日夜公演を観てきました。

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演出が変わったからなのか
今までぼんやり観てたのか
今までなんでこんな風に見えなかったんだろう
と思うことがたくさんでした。


始まりが高嶋さんじゃないというだけでもう新鮮。
尾上ルキーニの第一印象は若々しい。



初めて観るという新鮮さだけじゃなくって、
高嶋さんのルキーニは
毎日毎日同じことの繰り返しで疲れている感じだったんだけど、

尾上ルキーニは
毎日同じことを聴かれてうんざりはしていても
毎日よりも今日のことだけ見えている感じがした。





トートダンサーがステキで、
死者たちのゾンビ感がステキなオープニング。


オープニングは今までだってそうだったのだけど
演出変わってますます
どこもかしこも観たい気持ちでいっぱい。



そしてどこを観たらいいのか決めきれずに
目移りしながら始まりにどきどきとしているところに
トートが出てきて
瞬間すべてを持ってかれて凍った。



トートは黄泉の帝王と言われているけど
井上トートは黄泉の帝王というより死そのものだった。





今まで初めてのトート観た時に
それぞれこういう「死」だなというトートのイメージがあったけど、
それは死を誘うものとか、死の世界の何かというようなイメージで観ていることが多かった。


けど井上トートは
死神のような死を呼ぶものとか、死の世界の住人とか
そんな間接的なものではなくって、
「死」がそのまま人の形をとっているようにしか思えなくて、

舞台上にトートがいる間は目が離せなくて、
そしてその間中気持ちが張りつめて凍り付いていた。



死への畏怖しかなかった気がする。





トートダンサーがとてもかっこよくステキで
そのままずっと観ていたいと感じるほど完成されていると思っていたのに
トートダンサーの前にトートが立った途端に
それまで観ていたものが背景に変わってしまった。

トートがいない時は
存在感と素敵さが満ちていると思えたのに
トートがそこに現れた瞬間に
そう思っていたのが間違いだったと気づくくらいに
まったく空気が変わってしまって、
トートの圧倒的な存在感に驚かされた。




井上トートの
トートダンサーは死の向こうにあるもの
死の澱のよう。

トートは死の上澄み。


トートダンサーたちは死の匂いを感じさせるけれど
目には見えない。
だけどトートは死に近い人には可視できる。

そんなイメージ。




トートダンサーは死の向こうにあるけれど
トートは死の入口というか
生が終わる瞬間にトート(死)をすり抜けていくのかもしれない。
だから死は一瞬。


トートが
シシィを生き返らせる場面。

トートが「死」であるならば
彼女をどうして戻してしまうんだろうと不思議に思う時がある。


でも人が生を終える時にトートに迎えられて一体となり、
そしてトートをすり抜けていくのならば、


だからまだ彼女に通り抜けられて死の向こうへ行かせたくない。

彼女にも愛してもらってからひとつになりたい。

そんな想いから
トートは彼女を生へと戻したように思えた。






新演出で初めて観るエリザベートは
まずは井上トートに衝撃を感じたけれど、
この日一番私を泣かせたのは田代フランツ。




田代フランツが謁見の間であまりに無感情で
感情を見せるような歌詞すらも感情が見えず
とにかくずっと平坦。


これはそう聴こえただけ?
それともこの日だけこうだったの?
田代フランツは1回しか観れないので
その確認が出来ないのはとても残念なのだけど、

とにかく、その感情というものがなくなってしまったようなフランツが
シシィに会って彼女に向けた感情に涙があふれて止まらなかった。



もう全然泣く場面じゃないのに
だだ泣き。

皇帝という人形でしかなく、感情なんか忘れてしまった彼の前に現れた彼女に
彼は心を戻してもらったんだと思う。







オープニングはいつも通り目移りなんだけど
新演出だからなのかな
今回とにかくアンサンブルまで含めて一人一人がとても生き生きとしていて
全部観たくて困る。


ミルクは今回も大好きな場面だけど
今までよりももっと隅々まで観たくて困った。


そして女官たちも可愛さがあがってる気がする。
ダンスがとにかく可愛い!


最初の場面と比べて、
後になると
エリザベートに仕える誇らしさと
エリザベートへの好意が見えてくるようになるところも可愛い。










娘の死の場面。
エリザベートの言葉はトートには届かない。
彼はただ「死」なのだから。


エリザベートの非難を
反発するでもなく受け止めるでもなく
気にも留めないというのか
聴こえないというのか
次元がずれていて会話が成立しないというのかな

会話できるような存在ではないのだと思わされた。

ただ人が死を感じるしかなくて、
死はそこにあるだけ。








小さいルドルフがママに会いたがってぐずる場面の直後に
フランツがエリザベートに会いたいと部屋の前を訪れる。


父も子もか!と思わず感じる(笑


子どもと同じか!と思いながらも
フランツはエリザベートに出会うことで人形から人間へと戻ったから
人間として生きていくには
もう彼女なしでは生きていくことが出来ないんだと思ってまた涙。




『君なしの人生は耐えられない』
だって彼の『人』生は彼女が彼に与えたもの。

人形ではなくて人として生きることになってしまった彼に
エリザベートがいなくては耐えることなどできるはずがない。



フランツにとって人形から人へと戻ったことは幸せなことだったのか
幸せなことだと思いたいけれど
だから苦しんでいる彼を観ていると
もう延々と涙が出てしまって、

こんっなにフランツで泣いたことなんてない。
はじめて。






『母はもういない帰っておいで』と言うのには
ゾフィが哀れで涙。


ここでそんな風に感じたのもはじめて。



でもフランツはゾフィのこともちゃんと愛してたと思うのは
これを聴いても変わらない。


それよりもエリザベートが彼の中で本当にすべてで、
彼が「生きて」いくことは彼女の存在なしには成り立たないのだと改めて感じて
もう色んな意味で涙涙。









井上トートは「死」そのものだから
ルドルフのそばに常にトートの姿があるのは
彼のそばに常に死があり
彼が死に向かっていることを感じさせられ続ける。


最後にルドルフがトートにキスした時に、
死が人を迎えるのではなくて
人が死に向かう様に思えた。


死はそこにあって。
それを選んだのはルドルフ。







「夜のボート」でのエリザベートとフランツ
また改めて、今までどうしてそんなことに気付かなかったんだろうと思いながら観ていた。


エリザベートはフランツにすがりたくてもすがれない。

自分のフランツへの反発を優先して、
ルドルフを見殺しにしてしまったから、
ルドルフを殺しておいて、今になってフランツに振り向くことが出来るはずがない。

でもそれをフランツは知らない。


二人の気持ちはひとつになれそうなのに
絶対にひとつになることはない。



切な過ぎて辛い。











尾上ルキーニは
世界を斜めにみてる若者という印象。

それは世界を正面から見ると自分が壊れてしまうからこその自衛。


彼は
自分が壊れる前に世界を壊そうとしたのかな。

それもきっと無自覚に。











初めての新演出エリザの翌日
二回目の新演出エリザ観劇、、、だったのですが、

この日体調が絶不調。

一幕も辛かったけど、二幕は本当にもう無理というくらい辛くて、
頭は痛いし、吐き気はするしで、全然集中して観ることが出来なかった。。



この回はe+の貸切だったので最後に出演者の挨拶がありますとアナウンスがあったのに
それをまたずに劇場を後にしたほど辛かった。。。



なので、この回は
城田トートの印象が
前回のトートと大きく変わらないものの
とても深さを感じるトートになっていたことと、
佐藤フランツの歌が驚くほど素晴らしかったということ
くらいしか記憶に残っていません。。。。。泣き。





ただ、幸いにも
8月に観るエリザベートも
城田トート、佐藤フランツの回なので、
その日にしっかりと楽しんでこようと思っています。





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