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ミュージカル「フランケンシュタイン」中川×加藤を観てきました

Category: 観劇感想   Tags: フランケンシュタイン  中川晃教  加藤和樹  

ミュージカル「フランケンシュタイン」
 2月17日名古屋夜公演を観てきました。

フランケンシュタイン夜


昼公演を柿澤ビクター初めましての次は
夜公演で加藤アンリ初めましてです。



以下
ネタバレ感想です。




小西アンリはどちらのビクターにもどこか庇護愛を感じたけど
加藤アンリはビクターに縋り付く感じ


小西アンリは
現実に生きてない雰囲気があって
だからこそ生への執着が薄い、というか死に常に向かっていたようだったけど


加藤アンリは死への恐れと生への絶望と
とても不安定に思えて

特に裁判から断頭台の場面で胸のざわざわが止まらなかった。



彼が生きていられるのはビクターがいるから
だからビクターをなくさない為に罪を被る。



小西アンリは
死に場所を探して、
あるいはビクターの研究の中で生きていく為に
喜んで真っ直ぐに死へと進んでいった。


加藤アンリはそんなに割り切れず
振り返りながら恐れながら死へと逃げていった。



加藤アンリの不安定さ弱さは
ひとつひとつの場面を苦しくさせる。



アンリの時はどこもすごく苦しそうで辛そうで
加藤くんが舞台を通して一番自由に感じるのがカトリーヌとの場面。


怪物はアンリじゃないのかもしれないけれど
やっと人間の苦しみから逃れたんだって

だけど全然自由な状況ではなくて
この先も苦しみが待ち受けるけれど

でもこの瞬間はどの時よりもきっと自由。



それを感じるのがこの場面だなんてという苦しさと
そんな瞬間があったことの喜びと

両極端な気持ちを同時に抱かせる。




小西くんのこの場面はもっと動物的な印象だったけど
加藤くんは強烈に自由を感じた。
全然自由がないのに。



これは怪物としてのアプローチの違いももちろんだけど
アンリの印象の違いが感じさせるのかな。





リトルビクターは初めての石橋くん。
天才少年って感じ。

難波くんは死を受け止められないふんわりした子供という印象だったので


難波→中川ビクター
石橋→柿澤ビクターと成長しそうだなと思った。



昼公演で
二幕の柿澤ビクターが抜け殻のように感じたので
前回観た中川ビクターからはそんな風には感じなかったけど
どうしてかな というのを改めて観て確認。



中川ビクターの二幕は
やっと死を受け入れたように感じる。



母の死を受け入れられず
人間の死を受け入れられず
生命を作り出すことを夢見ることで死を拒絶していたビクター

だけど作り出したと思った生命に裏切られて
ようやく死を受け止め

その重さに押しつぶされそうになってはいるけれど
やっと現実を歩き始めた




だからエレンの死に対する反応も
また死を受け入れたくない気持ちが
同じ過ちを繰り返そうとしているように感じるんだな。






メインキャストが二役やっていて

表→ビクター、ジュリア、エレン、ステファン
裏→ジャック、カトリーヌ、エヴァ、フェルナンド

という風に観ていると人は裏返すとこれだけ残忍に
全ては表裏一体。ということを感じるけれど

裏→表というのを意識してみると
怪物が自分を虐めた者を殺しているようにもみえる。





アンリがビクターに対して
恋をしたとか恋愛的感情が生まれたように表現する言葉があるけれど
二人の間にはそういう感情は感じないので
他に代えがたいというのを
恋愛にも似た気持ち、と言い表しているのかなと思ってはいるんだけど


もしもそこに恋愛的感情があるのであれば
ビクターと結婚するジュリアと
アンリに初恋にも似た気持ちを抱かせるカトリーヌが同じ役者というのも
意味深長。





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